いつまでも残るものは信仰と希望と愛です


『いつまでも残るものは信仰と希望と愛です』 聖書

私には、忘れられない敬愛する一人のクリスチャンがいます。
その方は、一昨年前に73年の生涯を送り、天国へと旅立たれました。

召される約1ヶ月前の事。日曜日の礼拝の後に病棟を訪ねました。
すると、カーテンの隙間から、その方が一人頭を下げて真剣に祈り続けている姿を見ました。

もうすでに体力的にも、とても礼拝堂へは来られない状態でした。
それでもMさんは、ご自分が今置かれている場所で、一人で神を礼拝し、心からの祈りを捧げておられたのです。
私は、その姿に心打たれて静かに帰りました。

Mさんは訪問する度に、『ただ祈っていて下さい。それが一番感謝な事です。』と言われたものです。
祈りの人でした。

やがてMさんは、ターミナルケアをする他の病院へと移られました。

私は毎回、訪問する前に
「以前より身体は弱っているだろうか...苦しくないだろうか…」
と心配になりながら、祈って病棟を訪ねたものです。

けれども本当に不思議なことに、天に召される日が近づけば近づくほど、なぜか、Mさんの表情はますます穏やかで幼子の様に優しいものへと変えられていきました。

ある時、「お祈りさせてください」と手を握り、神様に祈らせて頂いた時のことです。
私が祈っていたはずでしたが、気がつくと、Mさんが私の手を力強く握りかえして、真剣に言葉を発しておられました。
多くの言葉は忘れてしまいましたが、今でも鮮明に残っている言葉は、
「イエス様!どうかこの人をよろしくお願いします!」でした。

Mさんの為に祈りに行ったはずの私が、実は祈られる為に行ったんだと気づかされ、涙が止まりませんでした。

ご本人も体力も食欲も衰えていくのをよく分かっていたことでしょう。
緩和ケアを受けながらも肉体的な苦痛との闘いが続いていたことでしょう。
しかしながら、自分がそんな誰より辛い状況にあってもなお、他者の為に祈ることができる
信仰
これは本物だと思わされました。
そしてその心に働かれるイエス・キリストの力と
希望を確信させられました。

いよいよ天に召される一週間ほど前、Mさんの顔がなんとも言えないくらい輝いていた事を忘れません。

聖書の中に、全く不本意な状況下で天に召される前に
「彼の顔は御使いの顔のように見えた」(使徒の働き 6:15)
と記された人物の事が出てきますが、まさに苦難の中にあってMさんの表情は輝いていたのです。

私は、Mさんの生き様と姿を間近で見させていただきながら強く決心させられたことがあります。
それは、今私には大切な妻と可愛い二人の子どもたちがいますが、私もいつかは神様のみもとへと召される日が必ず来ます。

その時に、おそらく子どもたちには、この地上に残るものは何一つ充分に残してあげられないだろうと思っています。目に見える物は儚い(はかない)ものですから無理に残そうとも思ってはいませんが

けれども私は、聖書に
「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(1コリント 13:13)
とある様に、たとえ私の身体は失われ、魂は神のもとへ帰ったとしても、愛する家族の心には、いつまでも残り続ける最高の贈り物。
神様から恵みとして与えられた
「信仰と希望と愛」を残してあげたいと思っています。
そして、やがて子どもたちもまた、自分の家族・友人・知人等多くの人達へ、その最高の贈り物を渡し続けてくれると信じています。

私たちは誰しも、最後は今持っている全ての物を地上に置いて、一人神の前に立つ時が来ます。
その時に、愛する人々へ残してあげたいものは、一時的な儚いものでしょうか。
それとも、いつまでも残り、その人を永遠に生かすものでしょうか。

神様が私たち一人ひとりを通して、「いつまでも残る最高の贈り物」を大切な愛する人々へ届けてくださる事を信じて祈り続けようではありませんか。


副牧師  伊東 勝哉

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