つばさ


「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく歩いても弱ることはない。 」(イザヤ書 40章:28〜31節)

 

「翼をください」という歌がありますが、昔から人間には鳥のように大空を自由に飛べたら・・というあこがれがありました。 その思いはやがて現実となり、ジャンボジェット機が空を駆け巡り、ロケットが宇宙に打ち上げられ、人工衛星が夜空に光るさまが見れる今日です。

 スポーツとして人気を集める、ハング・グライダーや、熱気球も自由に方向や高度をコントロールできます。
山の上からハング・グライダーに乗って、田んぼのあぜ道を滑走路用に使って見事に降りて来る様は見ているだけでもいかにも気持ち良さそうです。
しかし、いずれにしても一時的な爽快さはあっても、真の意味での「翼」ではありません。
たとえ大空を旅し、親しんでも心の重荷や悩みから解放されません。
相変わらず翼も希望もなく、アヒルのように泥水をついばんでいるようです。

 今から3000年前、イスラエルの王ダビデは自分の欲望を満たすために、誠に忠実な家来の夫人を自分のものとするため、戦いの前線に送って、わざと戦死させたのです。間接的な殺人罪です。
当初は「うまく事がいった」と思っていましたが、次第に自責の念にかられ、その時の気持ちをこう告白しています。

「私が自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、私の骨はふるび衰えた。あなたのみ手が昼も夜も私の上に重かったからである。」 詩編32:3〜4

 私たちの心が飛べないのは、私たちの心に大なり、小なりの罪の重さ(自責の念)があるからです。
 しかし、ダビデが自分の過ちを神様の前に告白して赦しを請うたとき、心が軽くなり、心に翼が与えられたと言っています。

まさに人生を思いっきり自由に羽ばたく翼が与えられたのです。

牧師  世古篤子

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