信愛キリスト教会 web site FAITH, HOPE, LOVE

みことばの種

私が弱いときにこそ、私は強いからです
『私が弱いときにこそ、私は強いからです』 聖書

教会の看板には、神の御子イエス・キリストのことばが掲げられています。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます」 (マタイ 11:28)

・・と。
その通りに、慈しみと優しさに満ちたイエス様のことばを聴いて、教会には、私も含めて多くの弱さをもった人々が集められています。
世の中の多くの場では、自分の弱さを素直に他者に打ち明けられず、周囲から見下げられたり、否定されたりするのを恐れて、人知れず心の悩みや苦しみを抱えながら生きている方が多いのではないでしょうか?


私も、その様な一人でした。必死で仮面をかぶり、鎧を身にまとい、強くたくましい自分を必死に装っていた人間です。 今もどこかにそんな弱さを抱えた自分がいます。
 けれども、イエス様の愛に満たされて、生きておられる神様の確かな導きの御手の力を実感しながら、ますますこの聖書のみことば・・
「私が弱いときにこそ、私は強いからです」
・・が、私の心の支えとなり、 あらゆる苦しみや悩みから自由にしてくれることを実感しています。
 この言葉を言ったパウロという人は、誰にもわかってもらえない大きな弱さを抱え、嘆きと苦悩の中にいました。 その弱さが取り去られるようにと何度も神様に祈ったと言います。 けれども、その願いに対するイエス様からの応えは、すぐにその苦しみや弱さを取り去ることではありませんでした。
そうではなく、イエス様は、パウロに気づかせてくださったのです。
もうすでに今、神様が与えてくださっている恵みは十分にあるということを。 私たちも、一つの困難に心の目を奪われてしまうと、視野が本当に狭くなるものです。 そして、周りにどれだけの輝く恵みが満ちていてもそれに気がつけなくなっているものです。 それは、一本の指に両目の焦点をあててみると、周囲の像がすべてぼやけてしまうのと似ています。
しかしパウロは、抱えた弱さのただ中にあって2つのことに気がつかされて心の平安を得ました。

● もうすでに今、神様の恵みと愛は十分に溢れていること
● 神様の力は自分の弱さのうちに豊かに働かれること


この二つの大切なことに気づかされたパウロの生き方は全く変えられました。 私も、皆さんも、同様にして今日も十分に与えられている神の恵みを実感しながら、神様は私たちの弱さの中に豊かに働かれ、ご自身のすばらしさを現わしてくださることに感謝して、自分の弱さを恐れずに、むしろ喜んで自分の弱さを誇れる一日を送りましょう。

「ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。 というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」 (Ⅱコリント12:9-10)


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