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みことばの種

絶えず祈りなさい
『絶えず祈りなさい』 聖書

先日、教会に来た幼い子ども達が「見て見て!!」と見せてくれたポーズがあります。
それは、前回のラグビーワールドカップで一躍有名になった選手が、ペナルティーキックの際にとるあの有名なポーズです。
その子達の真剣に真似しようとする姿に周囲にいた大人達がみんな笑顔でした。

さて、有名なあのポーズ。
あのポーズばかりが先歩きしている様にも見えますが、あの選手にとっては決してお遊びではなく、人を笑わせる為のものでもなく、自分自身の心を集中させ、ゴールを決めて、試合に勝利するために欠かすことのできない動作なのでしょう。
おそらく、あの選手にとってあのポーズは、有名になる以前から、ずっと変わらずに、繰り返してきた 「当たり前であり、欠かせない大切な動作」 だったはずです。

「○○○選手のルーティーン」と、よく聞きます。
ルーティーンという言葉は英語で、「日常的な」という意味を持ちます。 あの選手にとってのあのポーズは、日常的に当たり前のように行うもので、肝心なテレビに映るここ一番の試合だけのものではないはずです。 あれだけ人々に騒がれ、注目を受ける前から、毎日の練習の中でも、繰り返しそれを行ってきたのでしょう。
逆に言えば、だからこそ、ここ一番の大舞台でも普段と変わらずに、平常心であの動作をし、集中して、力を発揮し、大きな勝利を勝ち得たのではないでしょうか。

聖書には、
「絶えず祈りなさい」
(テサロニケ人への第一の手紙 5章:17節)

という言葉があります。

私は、4年間、神学校(聖書宣教会)で学びました。
神学校へ入会して、まず思ったことの一つに・・
「一日にこんなに多く祈るとは思わなかった」
・・という思いがありました。
朝の祈祷会・食事の前・掃除の後・各授業の初めと終わり・毎日のチャペル(礼拝)・一人祈祷室・諸活動の中・寝る前・同室の友と共に、などなど。。
そうやって思い出せば、一日にどれだけ祈ってきただろうかと思わされます。 けれども、それが今の私自身の日々の大きな力となっている事は間違いありません。
一日のどんな小さな事に対しても、祈って始め、祈って終わる事がいつの間にか自然な習慣となっているのです。
どんな小さな事にも、神様の助けと守りと導きを求めながら歩めることは、私にとってどれほど大きな恵みでしょうか。

私にも時々、予期せぬ試練や苦難に遭遇することがあります。
そんな時、一瞬、恐れや不安がどっと押し寄せてきます。
しかしながら、やはり、自然と心が向くのは、いつものルーティーン。
「神様に心の焦点を合わせて祈る」ということなのです。
私たちは、神様に頼りながら信仰による勝利を目指して日々戦っています。
私たちが、日々の小さな事に対して祈り続ける人であるならば、神様は、”ここ一番”の試練や苦難の中で、苦しみ・悲しみ・怒りの極みに陥りそうな時にも、必ず、祈りの手を挙げて祈る力を備えて下さり、やがて平安な心を与えて下さいます。
そして、日々与えられる感謝な出来事、喜びが沸いてくる事に対しても、 「神様、ありがとう」 と祈るとき、傲慢な者ではなく、謙遜な者へと成長させてくださるでしょう。
”どんな小さな喜び・大きな喜び” ”どんな小さな苦しみ・大きな苦しみ”の時にも、当たり前のように神に祈り続けることができるならば、神は、必ずあなたを祝福し、神がどれほど真実に私たちに働いて下さる愛に満ちたお方であるかを知ることでしょう。
どうか、今日から、どんな些細な事にも祈ることのできる人へと変えられていけますように。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、
神はその願いを聞いてくださるということ、
これこそ神に対する私たちの確信です。」
(ヨハネの第一の手紙 5章:14節)


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